2017/10/02 今朝の西日本新聞の文化欄に,私へのインタビュ-記事「世界の中華街見続け、見える日本の今  立正大教授 山下清海さん」が掲載されました。

2017/02/09 本日の東京新聞の「この人」のコーナーに,私のインタビュー記事(共同通信配信)が掲載されました。

2017/01/25 昨日,共同通信から私へのインタビュー記事「時の人」が配信されました。京都新聞,静岡新聞,愛媛新聞,西日本新聞,長崎新聞,熊本日日新聞,沖縄タイムス,新潟日報,東奥日報など全国各地の地方紙に掲載されました。 →静岡新聞2017年1月26日

2016/11/17 本日発売の「週刊新潮」(11月24日号)の「掲示版」p.82)のコーナーに,私の紹介記事が掲載されました。→参照

2016/11/07 TOKYO FMの対談番組「TOKYO FM WORLD」に出演しました。拙著『新・中華街』(講談社)に関連し,二人のパーソナリティ相手に世界のチャイナタウンについて私が話をしました。

2016/10/14 本日の読売新聞に私へのインタビュー記事が掲載されました。記事の見出しは,「ハングリー精神が築く街 山下清海・筑波大教授『新・中華街』」です。 →参照

2016年8月22日 東京新聞朝刊の特集記事「日中共生団地の挑戦」は,中国人が集中する川口芝園団地(UR)の共生への試みを報じたものです。私のコメントも掲載されています。川口芝園団地(蕨駅近く)は,2005年の「人文地理学研究」29号に,中国人の集住化に関する論文を発表して以来,私が注目してきたフィールドの1つです。

2016年2月6日,7日 神奈川新聞の特集記事「新たな共生へ 急増する在留外国人」・中)において,私のコメントが掲載されました。

2015年10月5日 NHK BS1「国際報道2015」で放送された「中国の“爆買い”を取り込め 都内で商談会」の特集で,コメントをしました。

2015年10月3日 NHK夜7時のニュース7で,「中国人の”爆買い”でコリアタウンに変化」が報じられました。新宿・大久保コリアタウンにできた免税店に中国人“爆買い”ツアー客が殺到しているという内容です。私も取材に協力し,若干のコメントもさせていただきました。NHKのニュースサイトでは,動画も見ることができます。

2015年10月1日 神奈川新聞の論説・特報「中華街摩登〔モダン〕 新華僑流入増加」が掲載されました。横浜中華街,池袋チャイナタウン,世界のチャイナタウンの動向などについて,私へのインタビューをまとめていただいたものです。

2015年8月3日  “nippon.com”「東京の新しいチャイナタウン—池袋」が掲載されました。

2015年4月23日 TBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』の中で,池袋チャイナタウンに関する話題が取り上げられました。

2015年4月17日 朝日新聞夕刊(東京本社版)に掲載された「各駅停話 東武東上線 池袋」という記事の中で,池袋チャイナタウン>について,私のコメントを交えて紹介されました。この記事の中国語訳は公開されています。
池袋北口中国人打造China Town – 朝日新聞中文网 – 2015.4.25

2014年11月22日 「AERA」(朝日新聞)2014年12月1日号に,「電車と地下鉄で行く『外国の街』」という記事が掲載されています。池袋のチャイナタウン,西葛西のインド人コミュニティー,高田馬場のミャンマー人コミュニティーおよび代々木上原にある日本最大のモスク「東京ジャーミイ」が紹介されています。私も,取材に少し協力しました。→参考

2014年11月13日 今朝のフジテレビ゙「とくダネ!」で,「ロサンゼルスに妊婦村出現!?」が特集で取り上げました。私の研究対象地域の一つであるロサンゼルスの東郊のニューチャイナタウンであるローランドハイツが舞台でしたので,電話取材を受け,私のコメントも放送されました。

2014年10月22日 TBSテレビの夕方ニュース「Nスタ ニューズアイ」の中で,特集「池袋ディープ中華街」が放送されました。この番組(首都圏のみ放送)の中で,TBSアナウンサーの加藤シルビアさんとともに,私が池袋チャイナタウンを案内しました。

2014年9月2日 先日,池袋チャイナタウンに関して,中東の衛星テレビ局,アルジャジーラ(本社:カタール・ドーハ)の取材を受けましたが,アラビア語で放送された内容がYouTubeで見ることができるようになりました。→参照(2分14秒)。

2013年7月21日 テレビ朝日「サンデースクランブル」で,中国人の愛人問題についての特集が放送されました。ロサンゼルスの郊外の新しいチャイナタウンであるローランドハイツは,「二奶村」(愛人村)としてよく知られています。番組ではローランドハイツについて解説を求められましたので,電話インタビューに応じました。

2012年10月17日 NHK総合テレビ「探検バクモン」
「ニイハオ!池袋リアルチャイナ」
爆笑問題の人気番組「探検バクモン」で,池袋チャイナタウンを紹介することになり,爆笑問題のお二人を案内し,最後に池袋の中国料理店で,尖閣問題で大揺れの日中問題について語りました。

2012年9月28日 NHK総合テレビ「おはよう日本」
「“良き隣人”であり続けたい~尖閣問題に国が揺れる中で~」
池袋チャイナタウンが舞台でしたので,番組制作に協力しました。

2012年9月26日 NHK総合テレビ「首都圏ネットワーク」
「池袋チャイナタウン 長期化する日中対立で」
番組制作に協力しました。

2012年6月12日 日経ビジネスオンライン
「池袋北口に広がる“本当の中国” 新華僑がニューチャイナタウンを展開」
取材に協力し,コメントが掲載されました。

2012年1月29日 テレビ朝日「サンデー スクランブル」
特集:「“日本で中国に一番近い街”池袋チャイナタウン」組制作に協力し,出演しました。→放送内容

2011年5月31日 東京新聞(夕刊)
「池袋『チャイナタウン』震災後 活気消える」
池袋チャイナタウンに関する私へのインタビュー記事が掲載されました。→中国語版記事(新華網)
また,「日本にいる新華僑『孫子の兵法』で活躍」という記事が,5月31日の人民網日本語版に掲載されました。
この記事の関して,私は取材を受けていませんが,どういうわけか私のコメントも掲載されています。→中国語版記事(中国新聞網)

2011年2月25日 東京新聞(夕刊)および北陸中日新聞(金沢)の文化欄に,私のエッセイが掲載されました。
「池袋チャイナタウン 日本化していない素顔の中国」

2011年2月24日 SankeiBiz(フジサンケイ ビジネスアイ)に池袋チャイナタウンに関する私へのインタビュー記事が掲載されました。
「美容院・保育園…雑居ビルに群がる新華僑 チャイナタウン化する池袋」
この記事は共同通信社が配信したものです。千葉日報(2/26朝刊),上毛新聞(3/2朝刊)などにも掲載されています。
また,同記事は中国語,韓国語でも配信されました。中国では新華社をはじめ中国各地,および欧米各国の非常に多数の中国語の新聞・ネットに,「走訪日本池袋新華僑聚集地 深入体験“中国風”」と題して掲載されています。

2010年12月6日 日刊ゲンダイに池袋チャイナタウンに関する私へのインタビュー記事が掲載されました。
「池袋チャイナタウンで遊ぶ」

2010年12月1日 月刊「ガバナンス」発行:ぎょうせい)12月号の「著者に訊く!」のコーナーで,インタビュー記事が掲載され,拙著『池袋チャイナタウン』が紹介されました。

2010年11月29日 Web R25(リクルート)に私へのインタビュー記事が掲載されました。
「なぜ中国人はアグレッシブに国外へ出ていったのか?」 →UR

2009年5月2日 NHKテレビ「おはよう日本」の 特集「中国人の生活を支える池袋」で,私も番組制作,コメント出演で協力しました。

2009年2月15日 日経マガジン「探訪 池袋中華街」で,私のコメントが紹介されました。
(前略)
世界各地のチャイナタウンに詳しい筑波大教授の山下清海は「池袋には現代中国を探検するような魅力がある」と言う。中国関係の店は点在していて目立たないが、ドアを開けばそこに「中華世界」が広がる。その気になれば日本人も「本場の味」を楽しめる。
(後略)

2008年12月24日 テレビ朝日の夕方のニュース番組「スーパーJチャンネル」で,私のコメントが紹介されました。
特集「池袋チャイナタウン計画~都会で広がる中国人社会~」

2008年11月26日 テレビ朝日の報道ステーション,特集「潜入池袋の中国人社会~「中華街」構想に地元は反発」の番組制作で協力しました。

2008年11月1日  『月刊現代』(講談社)12月号に掲載されたジャーナリストの野村 進氏執筆の連載「チャイニーズ世界の旅」,第2回池袋チャイナタウン(上)で,私の研究が紹介されました。

2008年10月10日 NHK国際放送のラジオ番組「What’s Up Japan」で,池袋チャイナタウン構想に関するニュースの特集が,英語および中国語で放送されました。

2008年8月28日 朝日新聞(東京本社)夕刊
池袋活性化へ「東京中華街」構想 地元商店会に反発も   →記事

2008年3月29日 共同網(共同通信社,中国語インターネット版)
東京池袋的華埠 (東京池袋のニューチャイナタウン) →記事(中国語)

2008年2月28日 共同通信社配信記事,北京五輪企画 「五輪の風―日中最前線(3)」
池袋に「チャイナタウン」 新華僑の生活支える   →記事

2007年11月5日 読売新聞(東京本社),池袋に中華街 中国人の生活支援」
私へのインタビュー内容も長く引用されています。 →記事

2007年10月1日 The Asahi Shimbun(朝日新聞の英字紙)
New Chinatown Caters to a New Generation of Immigants
池袋チャイナタウンに関する私のインタビューや「池袋チャイナタウン・ガイドマップ」などが紹介されています。 →記事

2007年6月20日 「メトロミニッツ metro min.」 (東京メトロのフリーマガジン) 2007年6月20日号,p.41
池袋チャイナタウンの紹介記事が掲載されました。 →こちら

2007年5月31日 「中文導報」日本最大の中国語新聞)
池袋華人街実至名帰
「池袋チャイナタウン・ガイド」についての紹介記事。→こちら(中国語)

2007年5月29日 TBSテレビ 「イブニング・5(ファイブ)」(夕方ニュース)
特集:池袋チャイナタウン(12分間)
池袋チャイナタウンの魅力の案内役として出演。 同番組のホームページ →こちら

2007年5月16日 東京新聞(朝刊) TOKYO発
池袋チャイナタウン 熱烈歓迎
JR池袋駅北口周辺に、中国人向けの物産店や飲食店が増えている。ディープな中国を味わえる場所として、日本人にも人気だ。筑波大学大学院の山下清海(きよみ)教授(55)が、この街を「池袋チャイナタウン」と名付け、初めてガイドマップをつくった。新しい異文化空間を一緒に歩いた。  続きは →こちら

2007年1月25日 「Hanako」マガジンハウス刊,毎月2回)の2月8日号 p.68
池袋がもっと好きになる11のコラム
6.北口は日本人が少数派!? 池袋チャイナタウン
池袋特集の号で,池袋チャイナタウンについて取材を受けた記事(以下参照)です。
北口周辺に中国人が集まり始めて20年ほど経つ。このエリアを“池袋チャイナタウン”と名づけた筑波大学大学院の山下清海教授によると、留学生たちが学校に通いながら働け、格安のアパートが池袋に多かったため集中したのが始まり。
池袋チャイナタウンは、横浜・神戸・長崎といった観光地化した中華街とは一線を画す。「生活に根ざした店が多く、華僑社会の核になる日本初の本物のチャイナタウンが池袋です。日本の中の中国ともいえますね」。その中心的役割を果たすのが知音グループ。食品店、書店、料理店、旅行会社、新聞社までを擁し、中国人の日本での生活を強力サポート。日本人にとっては、池袋にいながらにして今の中国を体験できるワンダーランドだ。

2006年9月10日 深夜24:00~25:00放送 J-WAVE(FM 81.3),「「Growing Reed」 (V6の岡田准一さんのFMラジオの対談番組)
その日のテーマは「中華街の秘密を教えてください」ということで,岡田さんの質問に答える形で,横浜中華街や世界のチャイナタウンについて対談した。
番組のHPの「過去の番組アーカイブ」2006年9月10日放送をご覧ください。→内容紹介

2006年8月16日 ニッケイ新聞(ブラジル,サンパウロ発行)
「世界唯一の日本人町」=中華街研究の山下教授=リベルダーデを再評価
「ここは日本人街としては世界唯一」――筑波大学大学院教授、山下清海さん(54、福岡県)は、初めて調査に訪れたリベルダーデの感想をそう語った。
山下さんによれば、東南アジアには駐在員を中心にした日本人集中地区があり、北米のロサンゼルスやサンフランシスコにも日本人観光客向けに特化した地区はあるが、現地に住み続ける日本人移民向けのコミュニティサービスは少ないという。
レンタルビデオ、旅行社、ディスパシャンテ、日本食材店等企業から各県人会、文協各施設と移民史料館、援協診療所、老人クラブ連合会などの日系団体など移民向けの機能が集中した町は、世界中探してもここしかないという。
「ここは生きた日本人町。リベルダーデを形成してきた日本移民の歴史はもっと評価されてもいい」と強調した。
山下さんの所属は、筑波大学大学院の生命環境科学研究科の地球環境科学専攻と、実は理科系だ。
だが世界の中華街を研究しており、日本華僑華人学会副会長の重責にも就く。エスニックタウン(外国人街)形成に詳しく、聖市でも中国人や韓国人が増えてきていると聞き、このたび訪れた。
リベルダーデ地区を中心に三月二十五日街、美州新報など中国語新聞社、中国人企業家などを視察訪問した。
元々は横浜、神戸、長崎などの中華街を比較研究することから始まり、シンガポールなどの東南アジア、欧米、オーストラリア等でも調査した。
現在は「中国新移民」の実態研究をしている。南アフリカ、中東などにもたくさんの中国新移民が入って中国製品の販売などの稼業についている。チャイナタウンで有名なサンフランシスコ、バンクーバーだけでなく「世界中で新市場を拡大している」と強調する。
世界に散らばっている中国人が共通して抱いている理想は、儲けたお金で子どもをアメリカの有名大学に進学させ、そこで就職し、最終的には親を呼び寄せて家族が米国に集結することを目指している点だという。「アメリカは彼らにとって特別な地です」。
世界中にある中華街も徐々に変化をしているという。息子を有名大学にいれ、立派な企業に勤めるようになると、中華料理店などの親の稼業を継がなくなる傾向がある。
「そうなると遅れてきた移民、ベトナム系やラオス系、カンボジア系中国人が代りに入り、表面的にはチャイナタウンだが、実態としてはリトルサイゴンに変わったりしているところもある」とエスニックタウンの変遷を分析した。
日本人町として始まり、今では中国、台湾、韓国系進出がはげしいリベルダーデにも当てはまりそうな変遷パターンだ。
山下さんは「日系人も教育に力を入れているから後継ぎになりにくい。そして、日本移民は新しい血が入ってこない。そうなるとより少数で後から来た移民が外国人街を継続させていくことになるのかも」との印象を語った。
七月三十一日に来伯し、八月十日まで東洋人街を調査して帰路についた。

2006年8月4日 サンパウロ新聞(ブラジル,サンパウロ発行)
伯国の華僑社会は今・・・ 世界の華人との比較研究 山下清海筑波大学教授調査に
http://www.spshimbun.com.br/content.cfm?DO_N_ID=12065

2006年4月25日 テレビ東京(12チャンネル)の朝のワイドショー「朝は楽しく!」8:00~11:00)
横浜中華街の特集のコーナーで,世界の中での横浜中華街の位置付けについて資料提供。

2005年4月6日,13日,20日,27日
NHK教育テレビの4月からの新番組,知るを楽しむ「なんでも好奇心」シリーズの4月放送分は,横浜中華街がテーマになっていました。この番組制作に関しては,私も企画,番組内での解説などを手伝いました。番組のテキストにも「世界のチャイナタウン」,「中国人留学生がみた横浜中華街」を執筆しました。
横浜中華街~人・街・食の歴史物語
放送時間 4月6日水曜から毎週水曜・教育テレビ・午後10時25分~10時50分
再放送(翌週水曜日午前05:05-05:30),再々放送(5月木曜日午前02:00-02:25)
4月  6日 (1)「彼らはこうしてやってきた 横浜開港~明治」
4月13日 (2)「日本と中国のはざまで 関東大震災~終戦」
4月20日 (3)「中華街誕生 戦後~日中国交回復」
4月27日 (4)「新華僑と老華僑 現代~未来」
詳細については,以下のアドレスを参照。
http://www.nhk.or.jp/spring/37.htm
http://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=61891212005

2005年1月21日 本日観刊行された『ゴルゴ13 LETTER FROM CHINA 』 (さいとう たかを著,小学館)
この本の解説ページ「ゴルゴ13ファイル」(pp.129-132)に,日本における中国人犯罪に関するインタビュー記事が掲載されした。

2004年6月2日および9日 深夜番組,FM横浜「幸福的様子」FM横浜(84.7)の深夜放送(午前1:30~2:00)の番組「幸福的様子」(DJは歌手の天雀さん)のコーナーの中で、チャイナタウンに関するテーマが取り上げられました。
天雀(テンチュエ)さんは、横浜山手中華学校出身の在日華人のクオーターです。天雀さんの私への電話インタビューという形で、2回分放送されました。
6/2(水) 日本の中華街  6/9(水) 世界の中華街

2002年9月25日 読売新聞(大阪本社発行)夕刊
『関西おもしろ文化考』 第88話「中華街」
→記事参照
神戸 味も人も 馴染みの友 横浜 境界くっきり 良き隣人
男性の一つの理想を示す言葉がある。「西洋の館に住み、日本人女性を妻にして、中華料理を食べる」。中華料理といえば、日本では、エキゾチックな雰囲気をかもしだす中華街が一番。なかでも、横浜、神戸、長崎が三大中華街と呼ばれる。ここに住む華僑・華人と日本人の関係について、横浜中華街の発展会協同組合理事長・林兼正は次のように評する。「長崎は親戚(しんせき)」。長い間の歴史が、そんな付き合いを生みだしたからだ。そして、神戸は「友人」、横浜は「隣人」と。〈その心〉は……。
豚まん餃子懐かしい味
東洋大国際地域学部教授の山下清海によると、「中華料理」というのは和製中国語。「中国菜」が正しい。料理自体も海を渡ると、その土地の好みに変化していく。神戸では、餃子(ギョーザ)に味噌(みそ)ダレをつける習慣が広がり、天津包子(パオツ)を「豚まん」として売り出す。中国では、「肉」といえば豚肉のこと。だから、わざわざ「豚まん」とはいわない。しかも、「豚」の字は日本でいう子豚で、使うとすれば「猪」の字が正しい。
「食は広州に在り」と言われるように、横浜中華街の七割は広東料理が占める。豊富な素材に、比較的さっぱりした味わいが日本人の口に合うからだ。神戸・南京町も広東料理が目立つ。ただ、前述の餃子や豚まんのように「日本の味」として定着したものが、代表格である。林兼正は「横浜は、頻繁に香港などと行き来して、メニューに生かす。神戸はむしろ、懐かしい味を大切にする」と、〈味〉を解説する。
規模は横浜が圧倒的だ。五百メートル四方に中華料理店だけで約二百。雑貨店、中華食材店を含めると六百店舗が並ぶ。年間千八百万人が訪れる世界最大のチャイナタウンである。神戸は、東西二百八十メートル、南北百メートルの範囲に中華料理店が二十数軒、全体で百十軒。こぢんまりとした感じは否めない。ただ、神戸華僑は八千人、横浜華僑は六千人といわれる。このことを考えれば、神戸が小さいとは一概にいえない。
学校や廟は南京町の外
諏訪神社は神戸華僑の信仰を集める。早朝、お参りを終えた華僑らが太極拳に汗を流す(神戸市中央区諏訪山町で)
街の外観も異なる。横浜では、路地裏の二階から洗濯物を干す。三国志の英雄・関羽を祭る関帝廟(びょう)、華僑総会、華僑系金融機関などのよりどころが、中華街のなかにある。生活に必要なモノがすべて、街の中に含まれる。神戸では、関帝廟も、学校も、華僑総会も南京町の外に置かれている。
「街の成り立ちが、影響している。横浜にはなかった雑居地の存在が、神戸では大きい」。こう指摘するのは、横浜開港資料館調査研究員の伊藤泉美。神戸も横浜も開港時に、居留地が建設され、外国人はこの場所以外で住んだり、商売することは禁止された。ところが、神戸ではすぐに居留地が手狭になり、現在の中央区の西半分を日本人も外国人も住める雑居地とした。横浜は、居留地を拡大することで乗り切る。
横浜中華街は料理店が並ぶだけではなく、生活の場だ。観光客でにぎわう関帝廟の隣では華僑の子供たちが学ぶ(横浜中華学院で)
横浜では、華僑たちが居留地の一角に集まって、中華街となった。神戸では雑居地に広がって暮らし、商いをする。いわば、横浜は中華街の境界が「黒と白」のようにはっきり分かれているのに対し、神戸の場合は墨絵のように境界はにじんで、ぼやけてしまう。
大陸と台湾机を並べて
神戸っ子のこうしたおおらかさは、街の呼び名にも反映された。横浜も神戸も、戦前までは「南京町」と呼ばれる。これは日本人がつけた名で、華僑自身は「唐人街」と呼ぶ。辛亥革命で南京に政府が生まれ、中国人を「南京さん」と親しみを込めて呼んだのが始まりだ。一時、差別的に使われたこともあり、横浜では一九五五年、「チャイナタウン」の訳「中華街」を街の名にする。神戸は「南京町で通っとるんやから、ええやないかと」(南京町商店街振興組合理事長・呉信就)。「南京町」は現在、商標登録され、神戸ブランドの一つになった。
政治色も立場の差がくっきり。横浜では、「国慶節」(十月一日)と「双十節」(十月十日)にパレードやイベントが行われる。国慶節は中華人民共和国の成立が宣言された日、双十節は辛亥革命がぼっ発した日で、大陸系支持派と台湾系支持派が盛大さを競う。こんなイベントは、神戸では見られない。中華学校も、横浜では五〇年代に「横浜山手中華学校」(大陸系)と「横浜中華学院」(台湾系)に分裂した。神戸中華同文学校は両派の子弟が机を並べる。神戸華僑総会名誉会長の林同春は、神戸の事情をこう語る。「よく言えば主義主張が異なっても、協力しあえる度量が。悪く言えば、政治に無関心な気風がある」
祭りタブー女性も平気
伝統芸能の継承も、色合いは違う。旧正月(春節祭)の催しについて、香川大経済学部助教授・王維はこう分析する。神戸は多くの日本人が入り込んだ「地元の祭り」で、神戸の開放性が見える。横浜は華僑の結束が固く、閉鎖的で「中華街の祭り」にとどまっていると。
獅子舞や龍踊りの担い手に、神戸では日本人が多く参加する。横浜は華僑が中心だ。そして、龍や獅子に女性が触れると、「お嫁に行けなくなる」という言い伝えが中国にあり、タブーなのだが、神戸では女性が平気で龍や獅子を手にする。それどころか、兵庫商高の龍踊り、獅子舞グループは女生徒が中心だ。横浜中華学院校長の杜國輝は、神戸の獅子舞を見て、女性の多さに腰をぬかしそうになった。「柔道のように中国の伝統芸能が国際化するのなら、こういう変化も、と思うが……」。言葉は続かない。
神戸を見下ろす丘に、諏訪神社はある。赤字で中国人名を記した提灯(ちょうちん)が境内に掲げられ、華僑が太極拳に汗を流す。松尾稲荷神社(兵庫区)も彼らの信仰の的だ。中国・福建省で海の神様・媽祖が「マーツォ」と呼ばれるためだ。駄洒落(だじゃれ)の世界にすら溶けこむ。神戸華僑歴史博物館館長の王柏林が語るように、ハイカラ文化の大半は中国人が持ち込んだ。そして、四代、五代。すっかり景色に馴染(なじ)んでいる。(敬称略)
【主な参考文献】
「チャイナタウン 世界に広がる華人ネットワーク」(丸善)「日本華僑における伝統の再編とエスニシティ」(風響社)「横濱中華街オフィシャルガイドブック」(横浜中華街発展会協同組合)「開港場横浜ものがたり」(横浜開港資料館)「落地生根 神戸華僑と神阪中華会館の百年」(研文出版)「横浜中華街探検」(講談社)
「華僑」と「華人」国籍で呼び分け
中国政府は、中国籍のまま海外に居住している人を「華僑」、他国の国籍を取得した人を「華人」と定義。移住先の社会に定着している人を、一時的な華僑と区別する呼び分けだ。日本の華僑は十八万人、華人は二万三千人といわれる。八〇年代以降、欧米、日本などにチャンスを求める中国人が急増したが、彼らは「新華僑」と呼ばれる。
文 岩井 孝夫

2002年8月23日 本日刊行の『ゴルゴ13 FIGHT UNARMED 』 (さいとう たかを著,小学館)
この本の解説ページ「ゴルゴ13ファイル」(pp.89-92)に,サンフランシスコやニューヨークのチャイナタウンに関するインタビュー記事が掲載された。

2002年5月18日 日本経済新聞の土曜版「NIKKEIプラス1」,「横浜中華街異聞、関帝廟が結ぶ華僑の故郷」
→記事参照

2000年11月1日(夕刊) 沖縄タイムスほか、共同通信配信記事 全国各地の新聞掲載,「続々上陸するアジアタウン
中華街やソウルの人気市場など 成功のカギは固定客確保」
韓国・ソウルの人気市場や中華街など活気あるアジアタウンが続々日本に上陸、話題を呼んでいる。東京都立川市の百貨店に昨春「立川中華街」がオープンしたのをはじめ、東京・渋谷に今年九月「東大門市場」と名付けられたファッション街が登場。十二月には都内に「台場小香港」がお目見えするほか、各地で中華街構想が浮上している。人気のアジアタウンをつくって集客の核にしようとの狙いだが、現場で働くアジア人の住環境整備など課題を指摘する声もある。
●値引き可能
東京・渋谷のファッションビル「パルコクアトロ」の三、四階。日本人観光客に人気のソウル・東大門市場から来た衣類、雑貨など五十五店がひしめく。一店当たり約五平方メートルの狭い店が立ち並び、値引き交渉も可能という。
「東大門市場(トンデムンシジャン)」という名称のこの売場の店員はほとんどが留学生など韓国人。若い女性を対象に、安さと最新ファッションを素早く提供するのが売り物だ。
運営するマーケットプロダクションの近藤圭介企画開発部長は「ファッションで元気がいいのは東大門市場。将来的に全国五カ所くらい展開したい」と話す。
「立川中華街」はJR立川駅に隣接する百貨店「グランデュオ」七階に登場した新しいタイプの中華街。約二千三百平方メートルに横浜中華街や中国・上海からの出店も含め中華料理や食品雑貨など十九店が並ぶ。
商売の神様、関帝廟や風水思想に基づく四神の門などを設け中華街のたたずまいを演出。ビルを運営するジェイアール東日本商業開発の橋本啓史レストランフロア担当課長は「エンターテインメント性のあるフロアとして中華街を考えた。開店当初の爆発的な売り上げに比べると落ち着いたが、飲食店街としては高水準を維持している」と説明する。
●構想が次々
東京・お台場の商業施設「デックス東京ビーチ」新館の六、七階に「台場小香港」が誕生する。香港や横浜中華街などから料理店や物販店など約二十店が軒を並べ、香港がテーマのアミューズメント施設も入る。カラフルな寺院や裏通りなど凝った造りで香港の再現を目指すという。
横浜中華街で料理店などを経営し、立川に店を出した曽徳深さんは「中華街という名前が高い評価を受けたので責任を感じ、何かお手伝いをと思った」と話す。お台場にも中国茶専門店などを出店。ただ最近は新たな依頼があっても「コックの養成が間に合わないのが実情」と言う。
中華街人気は高く、名古屋市・大須の大須三十番第一地区市街地再開発組合は十二階建て再開発ビルの三、四階に中華料理店などを誘致して中華街を建設、二○○二年末のオープンを目指す。このほか仙台市の長町地区や浦和市の埼玉高速鉄道の新駅周辺など構想がめじろ押しだ。
●物足りない
アジアタウンと銘打った商業施設を設け集客の目玉にしようという動きの広がりに対し、中華街やアジア地域に詳しい東洋大学の山下清海教授は「若い女性や旅行経験豊富な三十台女性を中心にアジアに対する関心が高まっているのがベースにある」と分析。ただ「新しいタイプの中華街は生活感や雑然とした雰囲気がないという点でやや物足りない」と注文を付ける。
こうした商業施設の成功は開店当初の人気と話題性をいかに固定客確保につなげるかがカギとの見方が多い。横浜中華街発展会協同組合の林兼正理事長は「中華料理店を並べた見た目だけの中華街ならすぐできるが、本気でつくるのならコックなど働く中国人の住環境など受け入れ態勢の整備や支援が必要」と話している。

1999年11月21日 朝日新聞「ちゃんぽん物語 長崎 (ふるさと亭)」
長崎市の中華料理店「四海楼」。その四代目、陳優継(ちんまさつぐ)さん(三四)に、中華街の赤い門柱を背に立ってもらった。お盆の上には、できたてのちゃんぽん。ちょうど出前のような格好になり、「そう言えば」と、一昔前までは出前が圧倒的に多かったことを思い出した。
出前といえば、初代の曽祖父(そうそふ)、平順(へいじゅん)さんは、自転車で配達する郵便屋さんが登場すると早速、出前に自転車を使い、ハイカラ好きの町で話題になった。店の宴席で踊る中国舞踊の娘さんのけいこを土間でさせて、ちゃんぽん一杯の客も踊りを楽しめるようにした……。

明治の半ば、こうもり傘一本を手に上海から海路、長崎へ渡って来た曽祖父を語るとき、優継さんの目は、その残像を追うかのように細くなる。
「渡日して七年間は、反物を大八車に載せて行商し、一八九九年(明治三十二年)に料理と旅館兼業の四海楼を開いた。日本で苦労している同胞に、安くてうまくて、栄養たっぷりの料理を、と考えて作った品がちゃんぽんでした」
今は店の総務部長。ゆくゆくは店を継ぐ。曽祖父の故郷、福建省はすでに二回訪ねた。そこで、「ご飯は食べたか」というあいさつ語の響きが、「ちゃんぽん」という音に似ていると気づいた。
売り出したちゃんぽんは、たちまち、日本人の労働者の間でも人気になった。大正初期には、長崎で一番はやっているものの筆頭になった。「家人が、商標登録しようと持ちかけても、耳を貸さなかった。もしそうしていたら、これほどの大衆料理にはならなかったでしょう」
すでにちゃんぽんを看板にして生計を立てている同胞も少なくなかった。彼らを困らせるようなことをする気にはなれなかったのかも知れない。

長崎ちゃんぽんの店を全国に展開している「リンガーハット」は、もともと長崎でトンカツ店など十ほどの店を経営していた。一九七〇年代初め、マクドナルドなど外資系のチェーン店が全国展開を始め、「そうしたやり方でないと生き残れない時代になったと直感した」と米濱和英社長は語る。
ほどなく札幌ラーメンがブームとなり、店の前にも一軒できた。最初は好調でにぎわったが、結局、一年半後には店を閉めた。「ちゃんぽんに食われたのです」。その商品力を再認識し、ちゃんぽんのチェーン展開に踏みきる。
長崎の郊外に一号店を開いたのは七四年。広い駐車場、モダンな店内。値段は中華街より百円ほど安い二百五十円。味も、スパイスをきかせてあっさり気味に。これまでのちゃんぽんとは異なる新鮮さを計算した。
読みはあたり、いま全国に二百八十三店。「長崎の名物で商売させていただいています。長崎のイメージを壊すようなことはするなと社員を戒めている」

「リンガーハットさんも、ちゃんぽんの名前を全国的に広げてくれた」と、優継さんはエールを送る。「ただ、うちに来たお客さんから、リンガーさんの味と違うと言われたことがあって、がくっときました」。客のひと言を精進の糧にしている。
自立心と商才に富んだ曽祖父は、清朝末期の故郷を「後ろも振り向かずに」離れたという。なぜ、どんな気持ちで日本を目指したのか、優継さんは知りたい。そして、ちゃんぽんの歴史を伝えるものも作りたい。どちらも我が家の原点だから。  (文・写真 前川恵司)
<メモ>
越中哲也・長崎歴史文化協会理事長は、鎖国の江戸時代で唯一の貿易港だった歴史が、「独特の長崎人気質を作った」と話す。町民の生活安定を優先する幕府の保護政策でおっとりした気風が育った。異文化に対する偏見がなく、暮らしに取り入れる精神をもたらした。食生活でも「ポルトガル貿易でてんぷらなどの油料理や砂糖、ベトナム・中国交易でブタ肉料理、オランダ貿易でテーブル料理」が伝わったという。
華僑を研究する山下清海・東洋大学国際地域学部教授は「福建省は、昔から移民が多かったが、南部の人はシンガポールや東南アジアに向かい、日本には平順さんのように北東部の福州郊外・福清から多く来た。この地方の人は、地縁血縁を大事にしてこつこつ働く、温和なタイプだった」と解説する。

1992年11月15日 朝日新聞「同胞からエール続々 川崎のコリアン・タウン構想(時時刻刻)」
川崎市内で焼き肉店などを営む在日韓国・朝鮮人の2世が打ち出した「コリアン・タウン構想」が、国内外で大きな反響を呼んでいる。韓国のマスコミや米国の韓国系新聞はいちはやく報道、韓国の政財界も関心を示し、有力な政治家側近からは激励の電話も入った。住民の理解や用地・資金の確保など、越えなければならない山は幾つもある。小さな芽が顔を出したにすぎないこの段階での反応ぶりは、在日韓国・朝鮮人をとり巻く環境の変化と無縁ではないようだ。 (川崎支局・永田稔)
●「夢」躍る見出し
「コリアン・タウン構想」は、約1万人の在日韓国・朝鮮人が住む川崎市の中でも特に在日の人が多い川崎区の通称セメント通り一帯に、ショッピングセンターや公益会館などをつくり、経済・文化の拠点にするとともに、観光ルートにもなるような街づくりをしようというもの。
世界でコリアン・タウンがあるのは米国・ロサンゼルスぐらい。日本国内には約70万人の在日韓国・朝鮮人が住む。最も密度が高いといわれる大阪市生野区桃谷地区でも、韓国大阪青年会議所と大阪青年会議所が中心になって84年、「コリア文化が薫る街づくり」の構想を打ち出したが、商店街の意見がまとまらず、足踏みしたままだ。
構想が新聞で紹介されると早速、韓国の有力紙・韓国日報が今月4日付の朝刊社会面で「日本にコリアン・タウンが建設されようとしている」という見出しで報じた。「『心のふるさと』・観光名所へ夢」と見出しは続く。
同紙東京特派員の文昌宰さん(46)は「どこの国にも民族の特色をいかした外国人街がある。構想は韓国人にとって大変喜ばしいことなので記事にした」と話す。
同様に、韓国の文化放送(MBC)がテレビで川崎の街の風景などを織り込みながら構想を紹介、キリスト教放送(CBS)もラジオで放送した。
●政財界から激励
韓国日報が報じたあと、韓国の有力政治家の補佐役から、「コリアンタウン実現を目指す川崎焼肉料飲業者の会」の事務所に、「頑張ってください」と激励する国際電話が入った。
同会の理事長林允澤(リン・ユンテク)さん(61)が10月下旬、韓国を訪れ、大宇財団の理事長ら財界首脳と会った際に構想を紹介した時も、首脳たちは在日韓国人の地位向上と日韓貿易不均衡是正という点で関心を示し、「何らかの形で応援したい」と話したという。
米国の韓国系新聞も構想を報じ、在米韓国人社会にも話は広がった。
●「日本は援助を」
国内の反応も素早かった。東京、大阪、神奈川の在日韓国・朝鮮人から問い合わせや励ましが相次いだ。大阪からは「こちらでは構想がいまひとつ進まない。川崎の例が解決の糸口を与えてくれるかもしれない」と資料などを求めてきたケースもあった。
在日韓国大使館も領事館を通じて情報を集めた。幹部職員は「ソウル五輪に続いて、日本国内の韓国・朝鮮人のイメージアップに一役買う可能性もある」と話したうえで、「最大の課題は資金。国内最大のマイノリティーに援助を与えることは、日本の国際的地位を高めることにもなる」と日本側の後押しを期待する。
「目指す会」が町づくりのモデルと考えている横浜・中華街の中華街発展会協同組合理事長林清文さん(78)は「中華街は日本政府の政策で中国人が一カ所に集まって住むことを余儀なくされたもので、モデルになるかわからないが、中国、台湾、東南アジア国籍の人々が仲良く働いている。韓国人も朝鮮人も手を取り合って町づくりを進めたらいい」とエールを送る。
◎地位向上のあかし?
国内外の韓国・朝鮮人がコリアン・タウン構想に何故これほど敏感に反応するのか、専門家に聞いた。
○東京大学東洋文化研究所の宮嶋博史・助教授(44) 在日1世にはいずれ祖国に帰るという意識があったが、2世、3世は日本で一生暮らしていこうと考えている。腰を落ち着けてやっていく目的意識に構想が合致したのだろう。
○千葉大学文学部史学科の趙景達・助教授(38) 日韓貿易摩擦解消の何らかの足掛かりになる可能性があること、日本国内での地位向上に伴って余裕ができたこと、などが背景にある。
○秋田大学教育学部の山下清海教授(41) 歴史的背景から日本人は朝鮮文化を中国文化より下に見ていた。それが、最近のエスニックやグルメブーム、ソウル五輪で、若い世代を中心に見方が変わってきた。そのことを在日の人たちも感じとっているのだと思う。