2019年6月25日(火)から28日(金)まで,3泊4日で「フィールドワークII」(3年生,15名)の授業を大阪で実施しました。
ちょうどG20大阪サミット(写真1)とぶつかり,市内各所で警備が厳しく,宿泊していたホテルも,派遣された北海道警の数十人の警官で混んでいた。
すべての学生にとって,大阪はなじみのないところなので,大阪らしさ,しかも最近の大阪の状況を知ってほしいと思い,定番的ではありますが,御堂筋・道頓堀(写真2),黒門市場(写真3),鶴橋国際マーケット,生野コリアタウン(写真4),西成あいりん地区(写真5)で,景観観察,土地利用調査などの人文地理学的フィールドワークを実施しました。
以下は,学生たちが,フィールドワークへ参加して感じたこと,考えたことなどをエッセイ風にまとめたものです。各自それなりに収穫があったようです。 (山下清海)
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現在もOSAKAは「天下の台所」 (SR)
4日間を通じ私が感じたことは大阪という街のバイタリティーとグローバル化についてである。
バイタリティーを感じた理由は大きく分けて二つある。まず初日に訪れたミナミでは華やかなネオンに彩られたインパクトある看板が私を迎えてくれた。この看板は大阪の活気の良さを示す象徴であり,訪れた観光客の心を掴む力があると思う。二つ目は大阪人の人柄についてだ。これは私の主観であるが,大阪の人達はコミュニケーションが盛んであると感じた。カフェに入っても,電車に乗っている時でも,常に何かしらの会話が繰り広げられている。この盛んなコミュニケーションが大阪の活気良い印象を,地方や海外から来ている観光客にもたらしているのであると思った。
次はグローバル化についてだ。これは私の主観であるが黒門市場や生野コリアンタウンを調査していて,「日本経済は外国人がまわしているのではないか?」と感じた。外国人労働者の流入は日本人の雇用先を減少させ,これから就活を迎える私達にとっても影響はあるだろう。だが雇用側の視点に立てば外国人を低賃金で労働させることが可能であり,更に近年では勉学に励み日本人よりも高いスキルを持った人がいるのも現状だ。
このような環境下のなかで,外国人と日本人との間である一定の関係値を作り,経済がスムーズに回転していくグローバル社会を作れるかが焦点になるだろう。
初上陸の大阪 (IH)
訪れる前の大阪のイメージは漠然としていた。では,実際に大阪へ行ってみて,どんな印象を受けたのだろうか。
まず1日目に訪れたのは,心斎橋筋商店街や道頓堀である。心斎橋筋商店街にはアパレルショップが多く,若い人が中心の場所だった。ここでは,耳に入る言語に外国語が多いことに気がついた。
道頓堀は景観が一変して,主張の激しい立体看板がいくつも目に入った。ここでも聞こえる言語は,中国語や韓国語などの外国語が多かった。
2日目に訪れた生野コリアタウンでは,キムチを売っている店,韓国料理店,韓流アイドルのグッズの店があった。この地域は路地に入ると住宅が密集していて,人々の居住区となっていた。また道幅は狭いにもかかわらず自転車で往来する人が非常に多い。
3日目は,日本橋の黒門市場と西成あいりん地区を訪れた。黒門市場では生鮮食品を売る店が多く,主に海鮮類が目立った。加えて薬局もたくさんあり,中国語,韓国語で表記されてる店舗が目立った。そこにいた観光客も,ほとんどは中国人や韓国人であった。また,あいりん地区でもコリアタウンのように自転車に乗っている人がたくさんいた。
今回のフィールドワークを通して大阪のイメージは,まるで関西弁より外国語の方が多く聞こえるような印象であった。予想外の多くの新たな知見を得ることができた。
新大久保より韓国の香りがする鶴橋・生野コリアタウン (HT)
鶴橋・生野コリアタウンを歩いてみて,新大久保よりも韓国に近いと感じた。新大久保は観光客向けの店などが多く,鶴橋・生野コリアタウンでももちろん観光客向けの店も多いが,在日コリアンの生活感も垣間見ることができるからなのだろうか。では,どこが韓国っぽいのか,大きく3つに分けて述べてみたい。
まず1つ目は景観と雰囲気である。鶴橋駅から生野コリアタウンに向かう途中の写真と,ソウル中心部にある市場の写真を見比べると,全体的に暗い感じと雑多な感じが共通している。特に昼間でもやや暗い感じは,日本では少ないような気がする。
2つ目は文化である。入学式や結婚式で着るための朝鮮の伝統的な衣装を販売している店があったりする。また,軒先に作業台,ブルーシート,大きなバケツ,大きな石が置いてある家があった。おそらくキムチを着ける作業台だと考えられる。各家庭でキムチを漬ける文化が受け継がれているようだ。このような光景は新大久保では見られない。
3つ目は,店舗で販売されている商品である。新大久保では,韓国でも観光客向けの店で売られている商品が多い気がする。しかし,鶴橋・生野コリアタウンでは,コンビニに置いてあるような商品が多いように感じられた。
鶴橋・生野コリアタウンでは,韓国のような雰囲気が感じられ,とても楽しかった。
今も進化し続ける観光地 心斎橋・道頓堀・黒門市場 (HM)
大阪での外国人観光客は,主に心斎橋市場や道頓堀,黒門市場の順に巡っているようだ。心斎橋では,衣料品店,ドラッグストア,時計店などが多く,医薬品を「爆買い」している東アジア系の観光客を見かけた。日本製は品質の良いことや外国と違い,偽装がないことが買い物をする理由のようである。
道頓堀では,たこ焼き,お好み焼き,ラーメンなど気軽に食べられる店が,外国人観光客に人気があるようだ。また,道頓堀の象徴とも言えるグリコの看板や蟹専門店「かに道楽」の立体看板などは,外国人に非常に人気があり,写真を撮っている人も多い。
黒門市場も同様で,食べ物を買う観光客が多い。店舗は主に魚介類,青果店である。この市場では,購入した魚の切り身やウニ,エビ,カニをその場で,捌いて,焼いて食べられるサービスがあり,新鮮な魚介類をすぐ食べられることが人気の要因でもあるようである。
これらの観光地には,QRコード支払いに対応した店も多い。中国では,QRコードを用いた支払いが多い。このため,外国人観光客が多い観光地の店舗の中には,QRコード支払いに対応した店も多い。
大阪の観光地の店舗は,外国人観光客,特に中国,韓国など東アジアからの観光客の需要や買い物事情に合った対応をしており,その結果,多くの外国人観光客を呼び寄せることができていると感じた。
大阪ミナミの空気感 (EA)
私は,今回のフィールドワークで初めて大阪を訪れた。生で大阪の街や文化を目の当たりにし,多くの衝撃を受けた。中でも,1日目に訪れた心斎橋,道頓堀などのミナミの街の空気や外国人観光客の多さ,店舗の様子に圧倒され,心に深く刺さるものがあった。
心斎橋筋商店街に入った瞬間に,私はその空気に飲み込まれた。どこを見ても外国人観光客が目に入り,聞こえてくる言葉も陽気な関西弁などではなく,韓国語や中国語ばかりであり,まるで異国に来てしまったかのように感じるほどだった。そして,心斎橋筋商店街には多数のドラックストアがみられ,そのほとんどでは「免税」や「AliPay」と書かれた看板があり,外国人観光客が訪れやすいように対応した工夫がみられた。
道頓堀では,特にかに道楽や大阪王将の立体看板が観光客の目を引いていた。道頓堀にはこのほかにも立体看板が多く存在し,日本人観光客だけではなく,外国人観光客にもインパクトを与えていた。そして,道頓堀の店舗の雰囲気は心斎橋筋商店街に比べると,昔ながらの店が多いように感じた。また,表の繁華街から少し裏道に入ると,法善寺があり,落ち着いた景観で空気が一変する。その場所の法善寺の存在に,古くからこの街の人々は癒されており,観光客にとってもこの空気が一変する感じが心地よいのだろう。
外国人観光客からみる大阪の印象 (NR)
今回,初めて大阪の街を歩き,外国語が多く聞こえてきたことに衝撃を受けた。東京より免税店や中国語・韓国語表記の目立つ店が多く,大阪には多くの外国人観光客が訪れていることを実感した。そこで,大阪で特に外国人観光客が多いと感じた心斎橋・道頓堀・黒門市場の印象について,まとめてみた。
心斎橋は,若者向けの洋服店や雑貨店,薬局が並び,中国語・韓国語表記をしている店が多く,洋服店や薬局の買い物袋を持った外国人が多数みられた。洋服店や薬局は免税店が多く,英・中・韓の3言語を表記している店がみられた。
道頓堀は立体看板を掲げた店が多く,主に飲食店や土産店,薬局が並んでいた。外国人観光客はグリコの看板前で写真を撮り,大阪名物を売る店に寄っていた。
黒門市場では,海鮮や果物を売る店が非常に多く,免税の薬局も多いと感じた。外国人観光客には,海鮮や果物を売る店,たこ焼き店などが人気であった。外貨両替機が設置され,複数の言語に対応できます,という店もみられた。
まとめとして,大阪は東京より中国語・韓国語表記が目立ち,外国人観光客への対応が進んでおり,特に免税店での買い物や大阪名物のグルメを目的としている人が多いと感じた。大阪は英語より中国語・韓国語表記が目立っていた場面が多く,主に東アジア系の観光客に需要があるようだ。
未知の地区から新たな視点 (YT)
ドヤ街といわれる日雇い労働者が住む街,あいりん地区。近年では「福祉の人」と呼ばれる生活保護受給者が多く暮らす街へと変化している。
まず,あいりん地区に入るとその雰囲気にのまれるような感覚に襲われる。地区自体は特別な何かがあるわけでもないが,そこにいる人々から向けられる視線や様子が,ただの地区ではないと感じさせられる。集団でいたためか特に好奇の眼差しのようなものを感じた。
その中で一人ひとりの様子を見ていくと,若い人は全くと言っていいほどおらず,見るからに高齢な男性ばかりだった。そのような高齢者ばかりの町の様子に目を向けると,福祉関係の建物がかなりの密度で見られた。少し歩くだけで福祉住宅という簡易宿泊所を改造した福祉施設が次々と見つかるのだ。今まで生活の基盤となっていたであろう簡易宿泊所よりも目立ち,さらには道路にデイリーサービスのバンがとまっている。福祉の町と呼ばれる理由を,身をもって感じることができた。
地区全体が高齢化によって弱っている。地方の商店街に行ったときにも感じる。しかし,このあいりん地区で感じたものは違った。よりリアルに感じたのだ。異界のような空間であったあいりん地区のせいなのか,より冷静に客観的に地域を見ることができていたのかもしれない。尖った要素の多いこの地区は地域に向ける目線を改めて考えさせる場所だった。
これがグローバル! (KM)
私が大阪のフィールドワークへ行っていちばん感じたことは,外国人観光客の多さである。見た目では分からない人もいたが,話している言語が日本語ではないことはすぐにわかった。実際にたこ焼き屋に行った際には,「いらっしゃいませ」と言われずに「アニュハセヨ」と言われてしまった。お客に外国人が多いこの街ならではの体験だった。
私はフィールドワークの前日にユニバーサルスタジオジャパンに行っていたのだが,周りにいた外国人の数は心斎橋で体感した数と同じように思えた。それほど大阪は外国人観光客で賑わっていたのである。人だけではなく街の様子からも外国人観光客の多さを知ることはできた。それは看板・標識である。
日本語以外に英語を使っている標識は日常生活でもよく目にする。しかし,大阪では中国語と
韓国語もたくさん使われていた。これはそれだけ東アジアの観光客が多いという事を知る手がかりとなった。また,市場ではお金を下ろすATMだけでなく,通貨を変える外貨両替機が置かれていた。大阪ではこのように外国人観光客に適用している様子を見ることができ,グローバル化を肌で感じることができた。
外国人観光客が年々増えているため,この先大阪がどのような街になっていくのか,とても楽しみである。
「ゴミ」からみた黒門市場 (ST)
多くの外国人観光客で賑わう大阪の黒門市場は,有名観光地である。個人経営店が多く立地している。店舗側は,外国人観光客や観光客に対して,イートイン,テイクアウト,両方の混在で観光客を取り込んでいる。テイクアウトからゴミが生み出されている。
テイクアウト店には,ゴミ箱が置いてあるが,他店で購入した商品のゴミを捨てることを禁止している店が見られた。「テイクアウトの店舗以外でどこに捨てたらいいのだろうか」。
黒門市場には,共通のゴミ箱がある。しかし,そのごみ箱は,黒門市場の大通りに一つだけである。ゴミ箱と観光客の消費する量を比べると,圧倒的に観光客の消費する量が多すぎる。
店舗側は,多言語表記の注意書きを表示していた。ルールを破る外国人観光客に対して,店員が激怒していた場面に合った。黒門市場の店員は,マナーが悪い観光客に嫌気をさしているようにも思えた。しかし,観光客は,ゴミ処理の対応ができていないと感じているのではないだろうか。観光客のマナーの向上とともに,店舗側の対策も求められているのではないだろうか。
自転車の運転態度から街を見る (AY)
今回,大阪のミナミやその周辺を中心にフィールドワークを行っていく中で,私は自転車の無軌道な走り方が強く記憶に残っている。ベルで喧しい音を立てながら,人の間を縫うように走っていく自転車が非常に多く見られ,身を縮めながら歩いたことが印象深い。黒門市場に行った際,病院の待合でみる熱帯魚のように道路上を右に左にヒラヒラと走っていく自転車を見たときには,驚いて言葉が出なかった。
そんなフィールドワーク中,私は西成のアーケード商店街にある丁字路でヒヤリとする光景に居合わせた。すでに20歳は過ぎでいるであろう3人の若者が,飲み会の話をしながら和気あいあいで歩いているところに,彼らの死角から老人が自転車を飛ばしてきているのが見えた。しかし,若者たちが間一髪のところで自転車を避けることで事なきを得た。その後,若者の一人が老人にさらりと謝ると,彼らは何事も無かったかのように,これから行う飲み会の話を続けた。この時,私はこの大らかさを見習いたいと思ったと同時に,大阪的な人付き合いの断片を垣間見たように感じた。
最終日に大阪のキタと呼ばれる梅田駅周辺をフィールドワークした際,行き交う自転車がベルを全く鳴らさず品行方正に走っているのに驚かされた。自転車の乗り方にも繁華街の性格が現れるのだなと考えさせられたフィールドワークだった。
外国人観光客特化の観光地,大阪 (TR)
今回のFWで最も印象に残っていることは,外国人の多さだ。特に道頓堀をはじめとする大阪らしさを感じることのできる観光地は,とにかく外国人観光客が多いと感じた。
そして,観光客と言ってもアジア系(主に中国人/韓国人)の観光客が多いため,正直見た目では判断できず彼らの会話を聞き,日本人ではないということを理解することができた。一部の外国人は明らかに日本では見られないような服装や髪型,メイク等をしていたり,見た目でわかる場合もある。しかし,元から顔が似通っている部分があることに加え,韓流ブームなどにより,日本人も韓国風のメイクや髪型を真似するなど見分けがつきにくい。やはりアジア系の外国人は特に見分けるのが難しく,見た目というよりは会話を聞くのが日本人と外国人観光客を見分けるための最も効率の良い方法だ。
そして,訪れる観光客の多くが外国人観光客である黒門市場では,外国人観光客に対するサービスの充実度を目の当たりにした。メニューの外国語表記はもちろんのこと,キャッシュレスが進む中国人観光客に向けて数種類の支払い方法を備えていた。黒門市場は,大阪の観光地というよりも外国人観光客に特化し過ぎた印象を受けた。
このように,大阪の観光地はとにかく外国人観光客への対応に特化していることに衝撃を受けた。大阪は,今後どのように変化していくのか楽しみである。
大阪で感じた「異国感」 (OK)
私は,今回の大阪のフィールドワークで,異世界を見た感じであった。また,そこから,学ぶ事が多くあった。
私は大阪を訪れたのは初めてのことではなかったが,これまでは観光としてテーマパークなどに行き,今回とは違う視点で大阪を見ていた。しかし,今回は大きく2つのことに目を向けた。1つ目が外国人の多さと,それに伴う外国人向けの翻訳配慮である。大阪のミナミの道頓堀などといった観光街や,私たちが訪れた黒門市場などは,案内地図や飲食店,様々な店で多言語表記がなされていた。
2つ目は西成あいりん地区についてである。私は見る光景一つひとつが衝撃であった。日雇い労働者の街であるあいりん地区では,「福祉の方々」の訴えも目で見ることもできた。私たち多くの国民が,何か出来ることがあるのではないかと考えた。
この4日間で多くの事を学び経験できた,価値あるフィールドワークになった。
あいりん地区の現実 (SK1)
通天閣や電気街など多くの観光客,買い物客で賑わう新世界から目と鼻の先,新今宮駅周辺からは徐々に活気は薄れていく。汚れた靴に破れかかった衣服,片手に酒の入った缶を持って歩く人々が多く目につく。彼らの多くは日雇い労働者や生活保護を受けている人々で,通称「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所で暮らしているという。あいりん地区を進んでいくと,ガード下などの張り紙が目に付く。張り紙には自らの生活への不満,政府への不満(6月28日より開催のG20開催を拒む文言)など日雇い労働者たちの心の叫びが書かれていた。彼らの明日への不安がひしひしと伝わり,胸に刺さった。
あいりん地区には2022年に星野リゾートがホテルを開業する予定で,周辺の地価上昇が期待されている。これにより周辺住民の二分化が予想される。 日雇い労働者や地価安さに参入してきた簡易宿泊所などの立ち退きを望む者,自らの身の置き場の喪失を不安に思う者もいるだろう。 私は周辺住民や彼らの立場を思うと非常に難しい気持ちになった。しかし,日雇い労働者を追い出そうとする傾向は間違いなのではないかと考える。あいりん地区は,今日まで日雇い労働者と共に歩んできたはずである。彼らの居場所を容易に奪うことは問題だと感じた。
今回,実際自らの目で確かめることであいりん地区の現状や立場を少しは理解できたように思う。
生野コリアタウンの宗教・信仰 (SK2)
私は生野コリアタウンの宗教,信仰に着目して調査を行った。
まず朝鮮では主に仏教と陰陽道が信仰されている。生野に住む朝鮮出身者は済州島出身者が多いため,この傾向が強いと考えた。生野にある御幸森神社は,崇神天皇を奉っている。また,御幸森神社から南へ向かったところには浄土真宗の寺があり,両寺社とも朝鮮人が流入するはるか昔から存在していた。
生野コリアタウンの住宅街の宗教,信仰に着目してみた。住宅には北東,南西の家の角を削る鬼門除け裏鬼門除けがあり,陰陽道,風水のもとに建築しているとわかった。また,住宅の玄関にはスギの葉やヒイラギの葉を飾っており,玄関に尖った物を飾るという陰陽道,風水を意識していた。生野コリアタウン内には「大韓仏教一乗宗 在日本教区 生野支部 布教院」という朝鮮系仏教の寺院が見られた。この一乗宗については情報がなく,どのような宗派なのかは不明である。また,住宅街の中には祠があった。この祠は一乗宗と同様の卍のマーク,仏花など仏教的要素と賽銭箱,鈴など神道的な要素が混ざっていた。この祠は神道と朝鮮仏教が混在したものだと考えられる。また,鶴橋商店街にも同様の祠があり,そちらは水子供養となっていた。
このフィールドワークを通し,人々の生活,地域の成り立ちから地理,文化を考察した。特に宗教に関心を抱きながら調査し,文化地理学への関心がさらに深まった。