全くの個人的な好みですが、youtubeで聞くことができるなつかしい曲を集めてみました。古い順に並べてみると、時の流れ、若かった時の自分が思い出されます。
1950、60年代の日本人は、外国(アメリカ一辺倒でなく)の音楽、映画に関心が深かったことが、あらためてわかりました。貧しくとも、夢や希望に向かって頑張ろうという時代だったんですね。
リストアップした中には映画の音楽が多いですが、私は高校時代から映画を見るのが大好きでした。一時は、進路(もちろん俳優でなく映画制作)をその方面にと、考えたこともありました。→高校時代に書いた映画ノート
曲名の後の西暦は、その曲が発表された年です。曲によっては冒頭で短いCMが流れますが、スキップしてください。
このサイトは、日々バージョンアップに努めいています。時間のある時、ベッドの上で、電車の中など、時々、好きな曲を聞いてみてみてください。
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藤山一郎(作曲:古賀政男)「東京ラプソディ」 1936(昭和11)年
作詞:薮内喜一郎、作曲:古関裕而「露営の歌」 1937(昭和12)年
1931年の満洲事変、1937年7月7日の盧溝橋事件、そして日中全面戦争(日中戦争)へ。以前、この歌は軍歌だと思ってあまり聞きたくはありませんでした。しかし、一見、勇ましそうにみえて、軍歌らしからぬ短調の悲しいメロディーの中に、兵士の悲しみ、苦しみに気づきました。この歌から、ウクライナ戦争、ガザでの戦闘など現代に通じる戦争の悲惨さが同じように伝わってくることに、今頃になってやっと気づきました。
→「B面だった『露営の歌』大ヒットの秘密」
李香蘭(山口淑子)「何日君再来」 1937(昭和12)年
日本語のあと中国語で歌われます。
→渡辺はま子「何日君再来」
→テレサ・テン「何日君再来」
「草原情歌」(中国名「在那遙遠的地方」) 1938年制作
歌っている胡美芳は、和歌山市生まれの在日華僑。戦中、中国に引揚げ、終戦後、日本に戻り歌手へ。この「草原情歌」は、中国語と日本語の両方で歌っています。
「草原情歌」は、1983年、NHK「みんなのうた」で紹介されました。
「タラのテーマ」 映画「風と共に去りぬ」 1939(昭和14)年
主演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル
ヴィヴィアン・リーが演じる主人公、スカーレット・オハラの一家は、アイルランドからの移民でした。アイルランド近郊にあるタラの丘は、私も訪れたことがありますが、アイルランド人にとって心の故郷だそうです。
李香蘭(山口淑子)「蘇州夜曲」 1940(昭和15)年
→山口淑子~李香蘭~1920~2014(NHKアーカイブス)
李香蘭(山口淑子)「支那の夜」 1940(昭和15)年
Dooley Wilson “As Time Goes By” 1942年
映画「カサブランカ」(出演:ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン)のテーマソング
作曲:吉田正「異国の丘」 1943(昭和18)年
→「異国の丘」wiki
→参考:「シベリア抑留から帰った三波春夫と吉田正」山下清海(2013):『日本人が知らない戦争の話』ちくま新書、pp . 200-204.
李香蘭(山口淑子)「夜来香」 1944(昭和19)年
戦後、山口淑子(よしこ)がカリフォルニアの州都サクラメントの公演(1950年)で中国語で歌った「夜来香」
台湾の卒業式の歌「青青校樹」(仰げば尊し)
日本統治が終わっても、台湾の学校の卒業式では、「仰げば尊し」が歌われ続けてきました。単純に喜んでいてはいけないのですが・・・。
→参考:「台湾で歌い続けられる『仰げば尊し』」山下清海(2013):『日本人が知らない戦争の話』ちくま新書、pp . 124-127.
作曲:古関裕而「栄冠は君に輝く」(全国高等学校野球大会の歌) 1948年
藤山一郎「長崎の鐘」 1949年
→『長崎の鐘』の著者、永井隆博士について
藤山一郎(作詞:西條八十 作曲:服部良一)「青い山脈」 1949年
渡辺はま子「桑港(サンフランシスコ)のチャイナ街(タウン)」 1950年
越路吹雪「愛の讃歌」 1952年
→エディット・ピアフ「愛の賛歌」 1950年
映画「禁じられた遊び」(予告編) 1952年
監督:ルネ・クレマン、主演:ブリジット・フォッセー
戦争で孤児となった5歳のフランス人少女の運命を描いた映画
江利チエミ「テネシーワルツ」 1952年
映画「ローマの休日」(Roman Holiday) サウンドトラック 1953年
主演:グレゴリー・ペック、オードリー・ヘプバーン 監督:ウィリアム・ワイラー
アン王女役のオードリー・ヘプバーンの可愛さ、美しさは、世界中を魅了しました。
トニー・ベネット「想い出のサンフランシスコ」 1953年
マット・モンロー “Love is a many-splendored thing” 映画「慕情」のテーマ曲 1955年
主演:ジェニファー・ジョーンズ、ウィリアム・ホールデン
香港を舞台にした恋愛映画で、日本でも香港旅行ブームが起きました。多くの日本人が香港に親しみを感じるきっかけは、この映画「慕情」だと思います。
ロッサノ・ブラッツィ “Summertime In Venice”(ベニスの夏の日) 映画「旅情」(Summertime)の主題歌 1955年
主演:キャサリン・ヘプバーン、ロッサノ・ブラッツィ 監督:デヴィッド・リーン
キャサリン・ヘプバーン演じる38歳の独身女性が観光で訪れたヴェネツィアのサン・マルコ広場で、ロッサノ・ブラッツィ演じるイタリア人男性と出会う。
サン・マルコ広場では、世界各地から訪れた観光客が、屋外カフェで生バンドにリクエストしています。その曲の中で多いのが“Summertime In Venice”です。ヴェネツィアでこの曲を生演奏で聞くと、映画の世界にいるような気分になります。
ミッチ・ミラー楽団「クワイ河マーチ」(映画「戦場にかける橋」) 1957年
若山彰「喜びも悲しみも幾年月」 1957年
水原弘「黄昏のビギン」 1959年
あまり知られてない歌かもしれませんが、メロディーも水原弘の歌も、なかなかいいと思います。
映画「太陽がいっぱい」(予告編) 1960年
監督:ルネ・クレマン、音楽:ニーノ・ロータ、主演:アラン・ドロン
「ムーンリバー」(映画「ティファニーで朝食を」 主演:オードリー・ヘプバーン) 1961年
小林旭「北帰行」 1961年
この原歌は、作詞・作曲した宇田博が旧制旅順高等学校の学生時代に作りました。その後、同校の非公式の寮歌として歌われ続けました。
倍賞千恵子「下町の太陽」 1962年
吉永小百合・マヒナスターズ「寒い朝」 1962年
ピーター・ポール&マリー 「悲惨な戦争」 1962年
シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」 1963年
坂本九「見上げてごらん夜の星を」 1963年
1985年8月12日、学生であった私は夏休みで、東京から福岡市の自宅に帰省して、夕方のテレビを見ていました。突然、羽田から大阪行きの日本航空123便の事故がテレビの臨時ニュースで流されました。そのうち、行方不明者の中に坂本九さんが含まれていることがわかって、ものすごくショックを受けたことが忘れられません。
坂本九「明日があるさ」 1963年
作詞:青島幸男、作曲:中村八大。青島幸男は後の東京都知事、中村八大は1931年に中国の青島で生まれました。坂本九が歌って大ヒットした「上を向いて歩こう」の作曲も中村八大です。
倍賞千恵子「芭蕉布」 1963年
ヴィレッジ・ストンパーズ「ワシントン広場の夜はふけて」 1963年
マット・モンロー 「ロシアより愛をこめて」 1963年
映画「007 ロシアより愛をこめて」のテーマソング
「幸せなら手をたたこう」(17ヵ国) 1964年
1964年に坂本九が歌って大ヒットした歌。世界的に広く歌われているこの曲のいきさつについては、NHK BS1スペシャルでドキュメンタリードラマ「幸せなら手をたたこう ~名曲誕生の知られざる物語」(2016年7月)として放送されました。 →日本人とフィリピン人の「永遠の友情」が歴史的名曲を生んだ
→坂本九「 幸せなら手をたたこう」
ペギー葉山「学生時代」 1964年
→青山学院が創立135周年を記念して、2009年3月18日に「学生時代」歌碑の除幕式を行う
ミュージカル映画「シェルブールの雨傘」サウンドトラック 1964年
主演:カトリーヌ・ドヌーブ 音楽:ミシェル・ルグラン
岸洋子「夜明けのうた」 1964年
ジリオラ・チンクェッティ「夢みる想い」 1964年
倍賞千恵子「さよならはダンスの後に」 1965年
ララのテーマ 映画 「ドクトル・ジバゴ」 1965年
ザ・ブロードサイド・フォー「若者たち」 1966年
アンディ・ウィリアムス「いそしぎ」(The Shadow Of Your Smile) 1965年
1965年公開の映画「いそしぎ」(原題Sandpiper)(エリザベス・テイラーとリチャード・バートン夫妻の共演)のテーマ曲です。
布施明(作詞:水島哲、作曲:平尾昌晃)「霧の摩周湖」 1966年
サイモン&ガーファンクル「スカボロ・フェアー」 1966年
森山良子「この広い野原いっぱい」 1967年
浅沼修(作詞・作曲 浅沼修)「時計台のある街」 1967年
私が学生時代、リュックを背負って(バックパッカーという言葉がない時代で、カニ族と呼ばれていました)北海道をひとり旅しました。泊まり歩くユースホステルで毎晩、夕食後のミーティングの際にみんなで「時計台のある街」を歌っていました。
映画「冒険者たち」サウンドトラック 1967年
主演:アラン・ドロン
ビートルズ「ペニー・レイン」 1967年
菅原洋一「今日でお別れ」 1967年
ザ・フォーク・クルセダーズ 「イムジン河」 1968年
ザ・フォーク・クルセダーズ「悲しくてやりきれない」 1968年
高石友也・岡林信康「友よ」 1968年
フランシス・レイ作曲「白い恋人たち」サウンドトラック 1968年
グルノーブルで開催された冬季オリンピックの記録映画の音楽です。
ベッツィー & クリス「白い色は恋人の色」 1969年
新谷のり子「フランシーヌの場合」 1969年
映画「ひまわり」イタリア・フランス・ソ連合作映画から 1970年公開
出演:ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、リュドミラ・サベーリエワ(映画「戦争と平和」主演)
この映画を見るまで、ソフィア・ローレンはセクシー女優だと思っていたことに猛省しました。すばらしい女優でした。「戦争と平和」にも出演したリュドミラ・サベーリエワの美しさは、たとえようがありません。「ひまわり」のロケ地となったウクライナの美しさ、戦争の悲惨さがむごたらしく思えてなりません。
→「ひまわり」予告編
ビージーズ 「メロディ・フェア」(映画「小さな恋のメロディ」のテーマ曲) 1970年
この映画は、日本やラテンアメリカで大ヒットしたのに、制作したイギリス、そしてアメリカではヒットしなかったそうです。
ジローズ(作詞:北山修、作曲:杉田二郎)「戦争を知らない子どもたち」 1970年
加藤登紀子(作詞・作曲 森繁久彌)「知床旅情」1971年
→森繁久彌「知床旅情」(1960年)
森繁久彌と加藤登紀子の共通点は、ともに旧満洲からの引揚者であることです。
→参考:「著名人の満洲引き揚げ者」山下清海(2023):『日本人が知らない戦争の話』ちくま新書、pp . 174-177.
男声合唱・水森かおり・加藤登紀子・世里奈「琵琶湖周航の歌」 1971年
この歌は、1919年、第三高等学校(現、京都大学)のボート部の歌として、1917(大正7)年に発表され、1971年には加藤登紀子が歌い、大ヒットしました。
フランシス・レイ&アンディ・ウイリアムス「ある愛の詩」 1971年
赤い鳥「翼をください」 1971年
チェリッシュ「なのにあなたは京都へゆくの」 1971年
加藤登紀子「愛のくらし」 1971年
トワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」 1971年
1972年2月に開催された札幌オリンピックのテーマソングです。
ガロ「学生街の喫茶店」 1972年
桂銀淑 (ケイ・ウンスク)、作詞・作曲: 吉屋潤(キル・オギュン)「離別」(イビョル) 1973年
朝鮮出身の吉屋潤が、韓国に帰国した妻(歌手パティ・キム、同年、離婚)への思いを込めて作った歌だそうです。この哀愁のある韓国的なメロディー、歌詞を初めて聞いた途端、大好きになりました。
チューリップ「心の旅」 1973年
小坂明子「あなた」 1973年
かぐや姫「神田川」 1973年
アグネス・チャン(陳美齢)「草原の輝き」 1973年
鄧麗君(テレサ・テン)「月亮代表我的心」 1973年
→夏川りみ が台湾のテレビで中国語で歌った「月亮代表我的心」です。歌だけでなく中国語も上手です。
グレープ(作詞・作曲 さだまさし)「精霊流し」 1974年
山本コウタローとウィークエンド「岬めぐり」 1974年
北原ミレイ(作詞:なかにし礼、作曲:浜圭介)「石狩挽歌」 1975年
なかにし礼も浜圭介も、旧満洲から日本に引き揚げてきました。
中島みゆき「時代」 1975年
野口五郎「私鉄沿線」 1975年
バンバン「「いちご白書」をもう一度」 1975年
太田裕美「木綿のハンカチーフ」 1975年
イルカ「なごり雪」 1975年
小坂恭子「想い出まくら」 1975年
河島英五「酒と泪と男と女」 1975年
小椋佳「シクラメンのかほり」 1975年
チューリップ「サボテンの花」 1975年
森田公一とトップギャラン「青春時代」 1976年
芹洋子「四季の歌」 1976年
さだまさし「案山子」 1977年
山口百恵(作詞・作曲 さだまさし)「秋桜(コスモス)」 1977年
松山千春「大空と大地の中で」 1977年
岩崎宏美 「思秋期」 1977年
山口百恵(作詞・作曲 谷村新司)「いい日旅立ち」 1978年
芹洋子「坊がつる讃歌」 1978年
高校時代、阿蘇くじゅう国立公園の東側にある九重連山の久住山(くじゅうさん、標高1787m)と大船山(たいせんざん、標高1786m)に、仲間といっしょによく登山しました。九重連山のほぼ中央にあるのが坊がつるの湿原(標高1230m)で、そこにキャンプ場がありました。「坊ヶづるキャンプ場」に泊まり、温泉に入ってくつろぎました。
久保田早紀「異邦人」 1979年
海援隊「贈る言葉」 1979年
私は、福岡市の中心にある天神近くで育ちました。「照和」というライブ喫茶がありました。海援隊、チューリップ、長渕剛、陣内孝則などは、この「照和」から育っていきました。
八代亜紀(作詞:阿久悠、作曲:浜圭介)「舟唄」 1979年
主演:高倉健、倍賞千恵子の映画『駅 STATION』(1981年)の中で「舟唄」が挿入された。
鄧麗君(テレサ・テン)「小城故事」 1979年 (中国語版)
シンガポール留学中、この台湾映画を見て、スクリーンに流れるテレサ・テンのこの歌に感激しました。
谷村新司「昴 -すばる-」 1980年
この歌は、中国でも大ヒットしました。多くの日本人は、中国人は日本嫌いだと思い込んでいるかもしれませんが、そうではありません。山口百恵、高倉健、谷村新司、五輪真弓などは、世代を越えて中国で大人気です。
→「中国人はなぜ谷村新司に感動したのか」
長渕剛「乾杯」 1980年
岩崎宏美「聖母たちのララバイ」 1982年
五輪真弓「心の友」 1982年
→「五輪真弓さんの歌謡曲、インドネシアで『第二の国歌』に・・・」
ダ・カーポ「野に咲く花のように」 1983年
テレサ・テン「つぐない」 1984年
→テレサ・テンについて
テレサ・テン「愛人」 1985年
テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」 1986年
加藤登紀子「百万本のバラ」 1987年
→加藤登紀子著『百万本のバラ物語』
→参考:「著名人の満洲引き揚げ者」山下清海(2013):『日本人が知らない戦争の話』ちくま新書、pp . 174-177.
井上陽水「少年時代」 1990年
学生時代、井上陽水の出身地である福岡県の田川市を旅しました。ボタ山の近くでひとり遊んでいる小学生の男の子に会いました。「兄ちゃん、井上陽水って、知っとう?」「そりゃ知っとうよ。ものすご有名やないね。」(私も福岡弁で)「井上陽水は、ここの出身たい!」 その子にとって、井上陽水は郷土の自慢ということがよく伝わってきました。
KAN「愛は勝つ」 1990年
夏川りみ「花」 1990年
「旅立ちの日に」 1991年
よく知られているように、埼玉県の秩父市立影森中学校の校長(小嶋登)の作詞、音楽教諭(坂本浩美)の作曲によって作られた合唱曲で、卒業式の定番曲になっていった。
ZARD「負けないで」 1993年
松任谷由実「 春よ、来い」 1994年
森山良子「涙そうそう」 1998年
Kiroro「未来へ」 1998年
この歌は中国でも、「后来」(劉若英)というタイトルで中国語でカバーされ、中国でいちばん人気の日本の歌の一つです。
→劉若英「后来」
中島みゆき「地上の星」 2000年
秋川雅史「千の風になって」 2001年
指揮:小澤征爾「ラデツキー行進曲」(作曲:ヨハン・シュトラウス) 2002年演奏
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートから。
→「小澤征爾」(子どもに見習わせたい“最近の偉人”伝)
→旧満州生まれの小澤征爾さん 中国でも追悼「偉大な芸術家」
森山直太朗(作詞・作曲 森山直太朗)「さくら」 2003年
ゆず「栄光の架橋」 2004年
一青窈(ひとと よう)「ハナミズキ」 2004年
本田美奈子「アメイジング・グレイス」 2005年
アルバム「アメイジング・グレイス」を発売した2005年、本田美奈子は急性骨髄性白血病で死去。
花は咲くプロジェクト「花は咲く」 2012年
東日本大震災(2011年3月11日)の復興支援ソングです。能登半島地震(2024年元旦)の発生後、再びこの曲を聞くことが多くなってきました。
→鶫 真衣(つぐみ まい)「花は咲く」