『留学事典’94 悩み解決Q&A特集号』 アルク  pp.124-125, 1994年2月

 

アジア留学のすすめ

秋田大学教育学部教授

山 下 清 海

華人社会の地理学的研究を志し
シンガポールの南洋大学に留学
 

いまから15年ほど前のことである。私がシンガポール留学へ出発する際、「欧米でなく、敢えてアジアへ留学するなんて、お前は偉いよ!」と大学院の先輩から言われた。彼は私をほめるつもりでこう言ってくれたのだが、私には「敢えて」アジアへ留学するという気負いはあまりなかった。ただ単に、当時、私がもっとも興味をもっていた地域が、たまたま東南アジアであったにすぎない。シンガポール留学中にも、現地の在留邦人から「なぜ、シンガポールなどへ留学しに来たのですか」とよく不思議がられた。この質問にも、「欧米でなく、アジアへ留学して何のメリットがあるのか」というニュアンスが含まれていた。

 さて、いまは国際化時代、一般の日本人の認識もずいぶん変わった、と思いたい。しかし、中年以上の日本人の国際認識は、あまり変わっていないのではなかろうか。子どもから「アジアの大学へ留学したい」と言われた場合、彼らの両親は、アジアのイメージを頭の中に描いたあと、わが愛する子にアジア留学の再考を求めるか、あるいは欧米への留学を奨めるかもしれない。このような時に、アジア留学への熱い思いを両親に伝え、戦前から日本人が抱いてきた偏ったアジア観を改めてもらうよう説得するするのが、新世代の子どもの役目である。

 さて、私は大学院博士課程に在籍していた時に、文部省アジア諸国派遣留学生の試験に合格し、1978年から2年間、シンガポールの南洋大学(1980年にシンガポール大学と合併し、シンガポール国立大学となった)地理系で学ぶ機会を得た。もともと東南アジアの華人(華僑)社会の地理学的研究を志していた私は、イギリス植民地支配の下で、華人自らが創立した南洋大学を留学先に選んだ。この留学を機に、東南アジア各地のチャイナタウンや中国南部の華僑の出身地の調査・研究に従事してきた。拙著『東南アジアのチャイナタウン』(古今書院、1800円)は、私の留学生時代の研究成果にもとづいてまとめたもので、アジア留学を志す方々に参照していただければ幸いである。

アジアの大学・大学院で勉強する意義

 アジア留学をめざす人は、大きく2つのタイプに分けられよう。一つはアジアの政治・社会・文化・自然などについて現地でより深く学ぼうとする、いわゆる地域研究志望タイプである。私自身も、かつてこのタイプに属していた。もう一つは、中国語、韓国(朝鮮)語をはじめアジアの言語を、現地で習得しようとする語学留学タイプである。

 アジアの地域研究をめざすにしても、アジアの言語を習得するにしても、やはり現地で学ぶことほど最良の方法はない。たとえ頻繁にアジアを旅行していても、現地で長期間、同一の場所に住んで暮らさなければ、いつまでたっても一日本人旅行者の目でしか、アジアを語ることができない。

 現地の大学や大学院で学ぶことの意義については、多くを語る必要もなかろう。私自身は、それよりもアジアの人々の中で生活する経験の重要性の方を強調しておきたい。最近のように、食傷気味になるなほど「国際化」が叫ばれる中で、外国において自分自身が留学生すなわち外国人として暮らした経験は貴重である。日本の真の国際化にとって、アジアとの関わりは非常に重要であるが、これまで多くの日本人の関心は、やはり欧米指向であった。アジアに留学し、自分の体験にもとづいてより説得力のある発言ができる日本の若者が、今後いっそう多くなっていくことが望まれる。

現地でアジアの言語を学ぶことのすすめ

 日本では、アジアの言語を十分に駆使できる人材はきわめて乏しかった。このため、従来、ビジネスや研究の世界では、アジアでも英語ですまそうとする傾向があった。確かにアジアのエリートたちは英語が上手である。しかし、相手国の言語を努力して勉強している日本人に対して現地の人々が示す態度は、英語のみ操る日本人に対してより、明らかに好意的である。多くの日本企業にとって、アジアはこれまでのように製品を売るマーケットであるだけでなく、たいへん重要な生産の場となっている。今後、アジア各地の言語を理解する人材がより多く求められよう。

 さて、地域研究志望の留学の場合でも、語学留学の場合と同じように、留学先ではアジアの言語を学ぶことからまず始める。私自身は、大学院に入ってから東京の中国語学校で中国語の勉強を始めた。そこに週3回、1年半通った。その後、シンガポールの南洋大学に留学したが、現地に到着してしばらくは、華人の学生が話す中国語は、日本の中国語学校やテレビの中国語会話で耳にしたものとはやや異なったもののように感じられ、さっぱり聞き取れなかった。彼らは私に対して、決して中国語の方言を話していたわけではなく、華語(中国の標準語である「普通話」に相当する)を話していた。しかし、当時の私には、華人の会話のスピードは新幹線のように速く感じられ、私の拙い能力ではついていけなかった。

 そこで、学生宿舎に住んでいた私はいつもメモ帳を持ち歩き、学生と話す際には、片っ端からわからない言葉を書いてもらって、あとで辞書で調べた。話題についていくために、中国語新聞をていねいに読んだ。先生との会話はフォーマルになりがちだが、学生や食堂の職員などとの会話はリラックスできた。週末には、たいてい台湾、香港、中国大陸などの映画を見に出かけた。カンフーなどの時代劇に比べ、恋愛映画の現代劇は中国語会話の学習の大きな助けになった。スクリーンの下に出てくる中国語の字幕は、最良のテキストだった。

 アジアのほとんどの国・地域は、多民族社会であり、留学先においても、さまざまな言語が用いられている。私もシンガポール留学中、せっかく多民族国家に来たのだから、華語(標準中国語)だけでなく、英語、福建語、マレー語も学ぼうと考えた。しかし、そこから得られた教訓は、同時に複数の言語を習得することはきわめて困難である、ということである。まずは、一つの言語をマスターするまでは、その言語のみの学習に専念することである。

アジア留学希望者へのアドバイス

 いまのアジアは、一般の日本人が想像しているほど、治安や衛生状態が悪いところではない。よからぬ下心がある旅行者が、犯罪に巻き込まれるということは、別にアジアに限ったことではない。若者がさまざまな問題に興味を抱き、多少の冒険をしてみたくなる気持ちはわかるが、民族、宗教、政治などの問題は、アジア各国ではかなりセンシティブな問題である。十分に現地の事情を把握せずに軽率な行動をすることは避けたい。

 アジア留学をめざす人の多くは、かなり好奇心旺盛な人であろう。そのような人にとって、奥が深く、魅力に富んだアジアは、十分に満足させてくれよう。多民族・多言語社会のおもしろさ、街の雑踏とのどかな農村とのコントラスト、多彩な食文化、人情味あふれる人々、植民地支配の名残、豊かな自然など、いまの日本ではなかなか味わえないものが、アジアでは体験できる。

 読者の中には、すでにアジアへ旅して、アジアの魅力にとりつかれた結果、アジア留学をめざすようになったという人も少なくなかろう。もし、アジアはまだ訪れたことがないという人は、ぜひ一度アジアへの旅に出かけてほしい。私自身がアジア留学を志すようになったのも、大学2年生の東南アジアへのひとり旅であった。